ただいま日本!がんばれJAPAN!
カレンダー
最新記事
最新TB
最新コメント
記憶って不思議だな、って思う今日この頃です。
とりあえず、暗記と記憶って違うんだよな、ってよく思います。
はい、当たり前って突っ込まない。
一生懸命覚えた英単語も、歴史の年表も受験から二年たった今では全然覚えてません。
だけど、ある英単語を一つ言われると、それを初めて知った時の状況、その時の小テストの点数まで簡単に思い出せるんですよね。
英単語は何回も繰り返して覚えたもの。
逆に後者の記憶は一回きりのもの。
なのになんで経験の記憶はこんなにもはっきり覚えていられるのだろうか。
例えば、今まで見た映画全てを上げなさいと言われたらムリです。
ま、劇場で見たのくらいは言えますけど。
でも、映画のDVDを渡されたらその登場人物から話の展開、果ては展開を先読みして台詞を思い出すこともできるわけです。
一回見ただけなのにね。
結果、短調な暗記、同じ場所にただひたすら積み重ねていく記憶法と違い、経験の記憶はその経験に繋がるキーワードを時間の流れに沿って道を残すことによって思い出しやすいのだろうとか考えるわけですが。
ではよく漫画などにありがちな、経験の記憶を失う、というのはどういったことなのだろうと考えてしまったり。
本当に小さな幼少の頃はともかく、私はたいていのものの初体験を覚えている。
初めてコーヒーを飲んだ、一輪車に乗った、縄跳びをした、こういった行動の初体験だけではなく、見知らぬものを目にした初体験も結構覚えている。
今では当たり前になってしまっている日用品なども、何も知らない分からない状態があったわけで、それを知るという経験を経て、知識として脳に収まる。
経験なしに知識はない。
よくある経験を失う記憶喪失は、いったいどういう線引きがあるのかと疑問に思うことも。
特に私の場合顕著で、経験の記憶の認識が強いみたいです。
自分でもよくわからないから上手く言えないんですけど・・・私の暗記力は決して良いほうではないです。悪くもないけど。
意味のないもの、数字や化学記号などに無理矢理語呂をつけて覚えるは苦手この上なかった。
数学の公式なんて壊滅的だったからなっ・・・くっ。
しかし、古文等はたいてい一度読んだ作品であれば、記憶している。
文面に違和感を感じて間違いなおし等もできる程度には。
好き嫌いの違いもあろうがやはり記憶の仕方の傾向なのだろうか。
常々経験の記憶が強いと思うのは。
フリーチャットルームで以前会話した事のあるハンドルネームの人と偶然居合わせた時。
その時の会話を細部まで思い出せる。
二回目コメントなどをいただいた時に、その方の前回のコメント内容。
300手を超える囲碁の棋譜、他人でなく自分で打ったものならば一手たがわず。
私はどうやら記憶の仕方に条件をつけて覚え、そのキーワードが出されれば、何年たっていようとすぐにその続きが思い出せるように、といった不可思議な記憶法をしているらしい。
あいにく人の顔を覚えるのは大の苦手で自分の経験に関わり合いがないと、どこでいつ初めて会った、とかいったのが分か良ない限り、誰コイツ、な状態。
その代わり、一度でも相手を認識して会話などすれば、その時の会話の内容は細部まで覚えていて思い出せるように。
『くだらないこと覚える余裕があるならもっと別のことに頭使いなさい』
『必要ないことは忘れる主義なの』
これは私が昔からよく言われた言葉だ。
母と姉から。
私はこれによく疑問を抱いたものだ。
覚える量に限界はない、とか忘れる方が難しいとか。
細かいことをいちいち覚えてるんじゃないとかも言われたことがある気がする。
逆に私にとってはそんなに簡単に忘れてしまうことの方が不思議で、私よりずっと成績のいい姉は何故覚えていられないんだろうとよく思った。
ついでに結構寂しかったりもした。
このお花、4歳の頃いった新潟の旅館にも咲いてたね、その時プールで遊んだね、横にずっと泳ぎ続けてるおじさんがいたね、あの時お姉ちゃんはスイミングスクールの白い帽子被ってたね、私が潜水して上がってきたとき海坊主って笑ったね、お姉ちゃん水玉の水着着てたね、旅館の浴衣は朝顔の模様だったね、プール上がったとき簀が少しカビてたね、大浴場に行く時赤い橋があったね、手すりのペンキが禿げてたね、絨毯もちょっと摺れてたね、湯気がいっぱいでシャンプーとリンスが分からないくらいだったね、シャンプーの桃の匂いがきつかったね、露天風呂のドアがとってついてるのにスライド式だったね、ゲームセンターにあったゾンビのゲーム怖かったね、クレーンゲームの中にカッコいい時計があったね。
花一輪でどんどん出てくる記憶が、全部『そうだっけ』で済まされる。
こんなマシンガントークは気持ち悪いから流石にしないけど、じゃあこれは覚えてる?これは?って並べるもののほとんどが『忘れた』になって『必要ないことは忘れる主義なの』になる。
話すのがめんどくさいから『忘れた』で済ましているのなく、本当に記憶のどこにも残ってない顔をしている。
大切な思い出と、繰り返し思い返しているわけでもないのにぽんぽん出てくる記憶を誰に話してもたいてい忘れてる、そんな些細なこと、と言われる。
些細な記憶だとは思うけど、当たり前に残っているから薄れるという処理ができなくて、普段は思い返すこともないけれど、キーワード一つで簡単に出てくる記憶が、自分しか覚えていないものだから、この記憶はどこかで植えつけられた別物なんじゃないか、自分の夢の記憶ではないのか、と自分の記憶を信じられなくなることもある。
そしてホームビデオを発見して見てみると、全て記憶の通りで、やっと安心する、と言った感じだ。
特に大切に胸にとどめているわけでもないのに、数年ぶりの相手と話して自分だけ覚えていることの多さに話が上手く続かなくなったこともある。
相手があまりにもあっさり『そうだっけ』って言うもんだから、自分の記憶が本当かどうかわからなくなるよ。
私はどちらかというと話下手なほうだ。
討論云々というより、話の展開が幼児そのもの。
長く会話していると一時間以上前の話題に突然戻ったり、話が急に結論に飛んだり。
これってまさしく自己完結する幼児そのものなのだが、私にとっては経験の記憶に『古い』や『新しい』というのがあまりないらしく、よくこれで人に迷惑をかけている。
経験の記憶にはキーワードの道がある、とさっき書いたけれど。
この道が、一致してしまうと困ったことになるんだこれが。
水曜日のある授業終了時、席から立ち上がりかけたその時、学系の先生から、言伝を受け取った。
そしてその一ヶ月後、全く同じ状況で異なった内容の言伝を受け取る。
すると一ヶ月まえの言伝の内容が頭に出てきてまざり、どちらが今日受け取ったものなのか判別つかなくなる。
ひっじょーにこれはゆゆしき問題で合って色々なミスの元になるのだが。
内容が時期の特色などが含まれているもの出ない限り、私はそれに本当に悩まされる。
いくら思い出そうとしてもキーワードが同じ道をたどり、その先に答えが二個あってどれだけ唸ってもどちらか思い出せない。
神経衰弱もそう。
楽しくやっている。
そして札を引いた順が偶然にも以前どこかで出たのと同じになるとしよう。
例えば相手がエースのペアをとった後、4、と10の組み合わせを引き、私の番になって私はキングのペアを引き当てる。
このたった数回の手順がキーワードになって、記憶が以前の神経衰弱と混ざり、今までめくった札の位置が以前の記憶と混ざり分からなくなってしまう・・・。
と言うわけで神経衰弱強いんだか弱いんだか。
常に意識していなければ薄れて行く記憶。
確かに短調に覚えた英単語はこっちが嫌になるほど頭から抜けて行く。
しかし、経験の記憶は意識していなくても、キーワードに引っ掛かりさえすればすぐに思い出してしまう。
これの所為で、自分の失敗談なんか十数年たっても覚えていたりする。
幼児期の恥をいつまでも薄れないまま覚えているのは結構辛かったり。
うわ、ものすごく長くなった!
特に言いたいことがあったわけでもないんだけど。
何と言うか、記憶って人それぞれで不思議だね!
自分の記憶が『精密すぎて』あまり信じられない人はどうすればいいかな、って話!
どちらかというなら単純な暗記力、それこそ冬薔薇の主人公みたいな本一冊完全コピーみたいな記憶力が欲しいよ!
私の場合一度読んだだけじゃあ、文中に有った無かった、とか違和感を感じて内容を訂正するしか出来ないよ。
単純な暗記力があれば高校の頃数学であんな悲惨な点数とらなかったかな・・・。
とりあえず、暗記と記憶って違うんだよな、ってよく思います。
はい、当たり前って突っ込まない。
一生懸命覚えた英単語も、歴史の年表も受験から二年たった今では全然覚えてません。
だけど、ある英単語を一つ言われると、それを初めて知った時の状況、その時の小テストの点数まで簡単に思い出せるんですよね。
英単語は何回も繰り返して覚えたもの。
逆に後者の記憶は一回きりのもの。
なのになんで経験の記憶はこんなにもはっきり覚えていられるのだろうか。
例えば、今まで見た映画全てを上げなさいと言われたらムリです。
ま、劇場で見たのくらいは言えますけど。
でも、映画のDVDを渡されたらその登場人物から話の展開、果ては展開を先読みして台詞を思い出すこともできるわけです。
一回見ただけなのにね。
結果、短調な暗記、同じ場所にただひたすら積み重ねていく記憶法と違い、経験の記憶はその経験に繋がるキーワードを時間の流れに沿って道を残すことによって思い出しやすいのだろうとか考えるわけですが。
ではよく漫画などにありがちな、経験の記憶を失う、というのはどういったことなのだろうと考えてしまったり。
本当に小さな幼少の頃はともかく、私はたいていのものの初体験を覚えている。
初めてコーヒーを飲んだ、一輪車に乗った、縄跳びをした、こういった行動の初体験だけではなく、見知らぬものを目にした初体験も結構覚えている。
今では当たり前になってしまっている日用品なども、何も知らない分からない状態があったわけで、それを知るという経験を経て、知識として脳に収まる。
経験なしに知識はない。
よくある経験を失う記憶喪失は、いったいどういう線引きがあるのかと疑問に思うことも。
特に私の場合顕著で、経験の記憶の認識が強いみたいです。
自分でもよくわからないから上手く言えないんですけど・・・私の暗記力は決して良いほうではないです。悪くもないけど。
意味のないもの、数字や化学記号などに無理矢理語呂をつけて覚えるは苦手この上なかった。
数学の公式なんて壊滅的だったからなっ・・・くっ。
しかし、古文等はたいてい一度読んだ作品であれば、記憶している。
文面に違和感を感じて間違いなおし等もできる程度には。
好き嫌いの違いもあろうがやはり記憶の仕方の傾向なのだろうか。
常々経験の記憶が強いと思うのは。
フリーチャットルームで以前会話した事のあるハンドルネームの人と偶然居合わせた時。
その時の会話を細部まで思い出せる。
二回目コメントなどをいただいた時に、その方の前回のコメント内容。
300手を超える囲碁の棋譜、他人でなく自分で打ったものならば一手たがわず。
私はどうやら記憶の仕方に条件をつけて覚え、そのキーワードが出されれば、何年たっていようとすぐにその続きが思い出せるように、といった不可思議な記憶法をしているらしい。
あいにく人の顔を覚えるのは大の苦手で自分の経験に関わり合いがないと、どこでいつ初めて会った、とかいったのが分か良ない限り、誰コイツ、な状態。
その代わり、一度でも相手を認識して会話などすれば、その時の会話の内容は細部まで覚えていて思い出せるように。
『くだらないこと覚える余裕があるならもっと別のことに頭使いなさい』
『必要ないことは忘れる主義なの』
これは私が昔からよく言われた言葉だ。
母と姉から。
私はこれによく疑問を抱いたものだ。
覚える量に限界はない、とか忘れる方が難しいとか。
細かいことをいちいち覚えてるんじゃないとかも言われたことがある気がする。
逆に私にとってはそんなに簡単に忘れてしまうことの方が不思議で、私よりずっと成績のいい姉は何故覚えていられないんだろうとよく思った。
ついでに結構寂しかったりもした。
このお花、4歳の頃いった新潟の旅館にも咲いてたね、その時プールで遊んだね、横にずっと泳ぎ続けてるおじさんがいたね、あの時お姉ちゃんはスイミングスクールの白い帽子被ってたね、私が潜水して上がってきたとき海坊主って笑ったね、お姉ちゃん水玉の水着着てたね、旅館の浴衣は朝顔の模様だったね、プール上がったとき簀が少しカビてたね、大浴場に行く時赤い橋があったね、手すりのペンキが禿げてたね、絨毯もちょっと摺れてたね、湯気がいっぱいでシャンプーとリンスが分からないくらいだったね、シャンプーの桃の匂いがきつかったね、露天風呂のドアがとってついてるのにスライド式だったね、ゲームセンターにあったゾンビのゲーム怖かったね、クレーンゲームの中にカッコいい時計があったね。
花一輪でどんどん出てくる記憶が、全部『そうだっけ』で済まされる。
こんなマシンガントークは気持ち悪いから流石にしないけど、じゃあこれは覚えてる?これは?って並べるもののほとんどが『忘れた』になって『必要ないことは忘れる主義なの』になる。
話すのがめんどくさいから『忘れた』で済ましているのなく、本当に記憶のどこにも残ってない顔をしている。
大切な思い出と、繰り返し思い返しているわけでもないのにぽんぽん出てくる記憶を誰に話してもたいてい忘れてる、そんな些細なこと、と言われる。
些細な記憶だとは思うけど、当たり前に残っているから薄れるという処理ができなくて、普段は思い返すこともないけれど、キーワード一つで簡単に出てくる記憶が、自分しか覚えていないものだから、この記憶はどこかで植えつけられた別物なんじゃないか、自分の夢の記憶ではないのか、と自分の記憶を信じられなくなることもある。
そしてホームビデオを発見して見てみると、全て記憶の通りで、やっと安心する、と言った感じだ。
特に大切に胸にとどめているわけでもないのに、数年ぶりの相手と話して自分だけ覚えていることの多さに話が上手く続かなくなったこともある。
相手があまりにもあっさり『そうだっけ』って言うもんだから、自分の記憶が本当かどうかわからなくなるよ。
私はどちらかというと話下手なほうだ。
討論云々というより、話の展開が幼児そのもの。
長く会話していると一時間以上前の話題に突然戻ったり、話が急に結論に飛んだり。
これってまさしく自己完結する幼児そのものなのだが、私にとっては経験の記憶に『古い』や『新しい』というのがあまりないらしく、よくこれで人に迷惑をかけている。
経験の記憶にはキーワードの道がある、とさっき書いたけれど。
この道が、一致してしまうと困ったことになるんだこれが。
水曜日のある授業終了時、席から立ち上がりかけたその時、学系の先生から、言伝を受け取った。
そしてその一ヶ月後、全く同じ状況で異なった内容の言伝を受け取る。
すると一ヶ月まえの言伝の内容が頭に出てきてまざり、どちらが今日受け取ったものなのか判別つかなくなる。
ひっじょーにこれはゆゆしき問題で合って色々なミスの元になるのだが。
内容が時期の特色などが含まれているもの出ない限り、私はそれに本当に悩まされる。
いくら思い出そうとしてもキーワードが同じ道をたどり、その先に答えが二個あってどれだけ唸ってもどちらか思い出せない。
神経衰弱もそう。
楽しくやっている。
そして札を引いた順が偶然にも以前どこかで出たのと同じになるとしよう。
例えば相手がエースのペアをとった後、4、と10の組み合わせを引き、私の番になって私はキングのペアを引き当てる。
このたった数回の手順がキーワードになって、記憶が以前の神経衰弱と混ざり、今までめくった札の位置が以前の記憶と混ざり分からなくなってしまう・・・。
と言うわけで神経衰弱強いんだか弱いんだか。
常に意識していなければ薄れて行く記憶。
確かに短調に覚えた英単語はこっちが嫌になるほど頭から抜けて行く。
しかし、経験の記憶は意識していなくても、キーワードに引っ掛かりさえすればすぐに思い出してしまう。
これの所為で、自分の失敗談なんか十数年たっても覚えていたりする。
幼児期の恥をいつまでも薄れないまま覚えているのは結構辛かったり。
うわ、ものすごく長くなった!
特に言いたいことがあったわけでもないんだけど。
何と言うか、記憶って人それぞれで不思議だね!
自分の記憶が『精密すぎて』あまり信じられない人はどうすればいいかな、って話!
どちらかというなら単純な暗記力、それこそ冬薔薇の主人公みたいな本一冊完全コピーみたいな記憶力が欲しいよ!
私の場合一度読んだだけじゃあ、文中に有った無かった、とか違和感を感じて内容を訂正するしか出来ないよ。
単純な暗記力があれば高校の頃数学であんな悲惨な点数とらなかったかな・・・。
PR
Comment
この記事にコメントする
Trackback
この記事にトラックバックする: |